推薦の言葉(高木登)
< 新生シアター出発を祝して >
1975年にシェイクスピア全作品上演を目指し、1981年にはそれを達成したシェイクスピア・シアターの主宰者で演出家の出口典雄が2020年12月16日に逝去され、その年の劇団創立45周年記念公演も新型コロナウィルス感染の影響で、中止延期せざるを得ない状況が続いているなか、昨年10月には学校公演で活動の再開が果され、シェイクスピア・シアターは、新たな出発をしようとしている。
話は戻るが、私とシェイクスピア・シアターの出会いは、シアターの第二期黄金時代ともいえる1990年代になってからである。1993年5月に、パナソニック・グローブ座で初めてシェイクスピア・シアター公演の『夏の夜の夢』と『間違いの喜劇』を立て続けに観て、これほど面白いシェイクスピア劇はないと興奮した思い出が今でも鮮明に残っている。
特に、半仮面と白いボールを使った『間違いの喜劇』の舞台は、その後観てきた数ある『間違いの喜劇』の中でも最高のものだと今でも思っている。
また、『夏の夜の夢』の3バージョン(「学校の夏の夜の夢」「仮面の夏の夜の夢」「バーの夏の夜の夢」)の企画上演も、これを凌ぐ傑作はないと今でも思っている。
それ以来、シェイクスピア・シアターの公演はずっと観続けてきたが、主宰者で演出家の出口氏が亡くなられ、今後のことを心配していたが、劇団員の高山健太君を代表者として、中学高校の学校公演を中心に活動を続けていくことを聞いて喜ばしく思うとともに、安心もした。
再出発に当たって劇団の代表者となった高山健太は、シェイクスピア・シアターで16年間活動を続けてきただけでなく、個人的にも注目もしてきて、彼が出演していることで一種の安心感を抱かせてくれるものがあったので、今後の運営にも大いに期待している。
シェイクスピア・シアターの功績は、日本で、というより世界で初めて一人の演出家によってシェイクスピア全作品を演出上演したことだけでなく、シェイクスピアをほんとうに面白い、楽しいものだということを教えてくれたことの方が大きいと思っている。
新生シェイクスピア・シアターが、学校公演でそのシェイクスピアの面白さ、楽しさを次の世代の人たちに伝えていかれることを期待してやまないだけでなく、学校公演にとどまらず、広く活動の輪を広げていかれることを切望し、シェイクスピア・シアターの新たな出発を祝します。
2022年5月2日
シェイクスピア観照家
高木登
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